意思では習慣を作れない
習慣を見直す中で、時間の使い方と健康管理に問題がありそうだと危機感を持った結果、アップルウォッチを導入することにした。
やや安直な気もしたが、おおよその目分量で自己管理、というこれまで通りのやり方では、なし崩し的に元に戻ってしまう残念な確信があった。そもそも意思で良い習慣を作ることは不可能というではないか、と自分を納得させた。
⇒慌ただしさの先にあるもの
「よかったですね」と言われたい
ひと月足らずのデータを集めるまでもなく明らかになったことのひとつに、睡眠時間の少なさがある。毎日5時間台の睡眠しか取れていないのだ。もっと取れているものだと自分では思っていたから、目分量(感覚)とはあてにならないものだなとつくづく思った。
実は同時期、早起きのメリットについて書かれた本を読み、起床時間を1時間早めたりもしていたのだが、ただでさえ少ない睡眠時間をさらに短縮することは避けたいと思い、早起きによる時間の確保は断念した。
となると、せめて6時間台の睡眠を取るには、いかに時間の浪費を抑えて一日の行動を前倒しできるかにかかっている。
まれに目標でもある6時間半の睡眠を達成できた日は、「よかったですね」とアプリが言ってくれるので、励みの足しにする(笑)のだが、行動の前倒しというのは想像以上にむずかしく、日々努力中なのである。
意識の影響
睡眠とは逆に、足りていないと思っていたのが、運動だ。
普通の生活の中で6,000歩前後、オプションに犬の散歩がついて、毎日の歩数は1万歩を越えるようだった。運動とは意味が違うけれど、意外と動いているものだな、と思った。
ただし歩いているとはいえ、ウォーキングなどのエクササイズではなく、ただ動いた、としてカウントされていることも多い。意識的に過ごした一日と、流されるように過ぎた一日とでは、ほぼ同じくらい動いていてもアクティビティの内訳が異なるのだ。
どうやら意識の持ち方は、いろんな部分に影響するらしい。「意識的に」「意識の問題」とはよくいうけれど、その意味が体験によって腑に落ちたのは大きかった。意識について、アプリから深く考察しているつもりの自分にも笑えた。
次に立て直すのは
自分の健康もデータによって管理する時代、と文章にすると、味気なさを感じなくもない。でも習慣の立て直しには実際かなり役立っているので、当面お世話になるつもり。
ただ、集めたデータの活かし方は自分頼み。これが少し心もとなくていけない。
次の立て直しはここなのかな、などと考えている。
チェック&フォローお待ちしています